私は昭和33年に和歌山県の熊野と高野山の間にある龍神というところで生まれました。
今思うと、子供の頃は脳のある一部の発達が遅れていたように思います。
良い言い方をすれば、坂本龍馬もそうだったのではないかと言われています。
この様な子供は、大人になってから大成する人が多いらしいのです。
いわゆる典型的な大器晩成型です。
さてさて、そうなるのでしょうか?
私のからだは、一見非常に元気なつくりの様でした。
ところが17歳の時に変な症状が出始めました。
部活の合宿中に痙攣が起きて救急車で何回か病院に運ばれました。
19歳の頃、
新宿で徹夜麻雀をして、朝帰りする電車の中で痙攣が起きて、これまた救急車のお世話になりました。
その後も数年に1回、寝ている時に痙攣が起きました。
私は寝ていたので記憶になかったのですが、家族の話では白目になり全身が震える様だったとのことでした。
勤務が埼玉医科大学病院になっていた32歳の時の変な症状が異変の始まりでした。
喋っていて、喋りたいことは脳でわかっているのに言葉が出て来ないのです。
おかしいと思い、大学病院を受診したら脳に直径2センチの脳腫瘍が見つかりました。
子供の頃の脳の一部の発達の遅れと感じていることとの関連はわかりませんが、高校生の頃から起こっていた痙攣はそのせいだったのでしょう。
脳に腫瘍があるとわかった日から、痙攣が日中に起こる様になり、痙攣の後には必ず意識がなくなるので入院するしか無くなりました。
大学病院の神経内科に1ヶ月入院しました。
昨日までリハビリを担当させてもらっていた患者さんと同じ病棟に入院していました。
この頃のことは、部分部分覚えているにですが、あまり記憶が無いことに後で気づきました。
脳神経外科では手術が検討されていましたが、神経内科(脳神経内科)の教授が「痙攣を抑える薬でコントロールできそうだから、手術をしないで様子をみましょう。」ということになりました。
ただこの時にいろいろ言われたんです。
「将来、腫瘍から出血を起こすことが考えられます。」
「自動車の運転はやめてください。運転中に痙攣を起こすかもしれません。」
…などなど
この時から、私の人生は変わった様に思います。
この頃考えていたことは『いつ死んでも良い様に備えをして、後悔のない1日を過ごそう。』
その後も脳腫瘍は左脳に有ります。
非常に良い子で、この24年間は何も悪いことはしていません。
しかし、いつ死んでも良いという考え方は常に持っています。
『いつ死んでも良い。』『どうせ一度の人生だから。』という考えが私の基盤なのです。
だから30歳台からは『人は死んだらどうなるのか?』という研究を続けて来て、今ははっきりとした考えを持っています。
16世紀に実在した科学者スウェーデンボルグが書き残した『霊界日記』が私の基本的な考え方になっています。
その後ひどい肺炎になったり、長い期間腰痛に悩まされた時期も有りましたが、そんなのたいしたことじゃありません。
かつて、何気なく手相をみてもらったことが有ります。
その方は『あなたは93歳まで生きます。』と言ってくれました。
100%信じているわけではないけど、今は『いつ死んでも良いけど、93歳まで生きよう。』と考えて生きています。
このブログのおかげで、私にも生きがいが生まれました。
後継者を育てて、各地に店を出そうとしているのは、儲けたいというよりも私がいつ死んでも良い様に準備しておきたいと考えているからです。
今は腰痛もなく、脳の状態も落ち着いてからだの平和を保てています。
この調子で93歳まで生きてみたいと思います。
皆さんのこころとからだにも平和が訪れますように!
松本 正彦
今思うと、子供の頃は脳のある一部の発達が遅れていたように思います。
良い言い方をすれば、坂本龍馬もそうだったのではないかと言われています。
この様な子供は、大人になってから大成する人が多いらしいのです。
いわゆる典型的な大器晩成型です。
さてさて、そうなるのでしょうか?
私のからだは、一見非常に元気なつくりの様でした。
ところが17歳の時に変な症状が出始めました。
部活の合宿中に痙攣が起きて救急車で何回か病院に運ばれました。
19歳の頃、
新宿で徹夜麻雀をして、朝帰りする電車の中で痙攣が起きて、これまた救急車のお世話になりました。
その後も数年に1回、寝ている時に痙攣が起きました。
私は寝ていたので記憶になかったのですが、家族の話では白目になり全身が震える様だったとのことでした。
勤務が埼玉医科大学病院になっていた32歳の時の変な症状が異変の始まりでした。
喋っていて、喋りたいことは脳でわかっているのに言葉が出て来ないのです。
おかしいと思い、大学病院を受診したら脳に直径2センチの脳腫瘍が見つかりました。
子供の頃の脳の一部の発達の遅れと感じていることとの関連はわかりませんが、高校生の頃から起こっていた痙攣はそのせいだったのでしょう。
脳に腫瘍があるとわかった日から、痙攣が日中に起こる様になり、痙攣の後には必ず意識がなくなるので入院するしか無くなりました。
大学病院の神経内科に1ヶ月入院しました。
昨日までリハビリを担当させてもらっていた患者さんと同じ病棟に入院していました。
この頃のことは、部分部分覚えているにですが、あまり記憶が無いことに後で気づきました。
脳神経外科では手術が検討されていましたが、神経内科(脳神経内科)の教授が「痙攣を抑える薬でコントロールできそうだから、手術をしないで様子をみましょう。」ということになりました。
ただこの時にいろいろ言われたんです。
「将来、腫瘍から出血を起こすことが考えられます。」
「自動車の運転はやめてください。運転中に痙攣を起こすかもしれません。」
…などなど
この時から、私の人生は変わった様に思います。
この頃考えていたことは『いつ死んでも良い様に備えをして、後悔のない1日を過ごそう。』
その後も脳腫瘍は左脳に有ります。
非常に良い子で、この24年間は何も悪いことはしていません。
しかし、いつ死んでも良いという考え方は常に持っています。
『いつ死んでも良い。』『どうせ一度の人生だから。』という考えが私の基盤なのです。
だから30歳台からは『人は死んだらどうなるのか?』という研究を続けて来て、今ははっきりとした考えを持っています。
16世紀に実在した科学者スウェーデンボルグが書き残した『霊界日記』が私の基本的な考え方になっています。
その後ひどい肺炎になったり、長い期間腰痛に悩まされた時期も有りましたが、そんなのたいしたことじゃありません。
かつて、何気なく手相をみてもらったことが有ります。
その方は『あなたは93歳まで生きます。』と言ってくれました。
100%信じているわけではないけど、今は『いつ死んでも良いけど、93歳まで生きよう。』と考えて生きています。
このブログのおかげで、私にも生きがいが生まれました。
後継者を育てて、各地に店を出そうとしているのは、儲けたいというよりも私がいつ死んでも良い様に準備しておきたいと考えているからです。
今は腰痛もなく、脳の状態も落ち着いてからだの平和を保てています。
この調子で93歳まで生きてみたいと思います。
皆さんのこころとからだにも平和が訪れますように!
松本 正彦